shin-1さんの日記

○私が私を意識した日(意識の誕生日)

 私の誕生日は昭和19年10月3日です。誕生日は人間の生命が生まれた日とされていますが、よく言われる夫の精子が妻の卵子に宿って、「とつきとうか」(10月10日)で子どもが生まれるとしたら私の生命の誕生は昭和18年12月24日、クリスマスの日へと遡らねばなりません。「えっ、私はキリストと同じ日に・・・・・・」なんて驚きです。しかしこの考えは父と母のみぞ知る布団の中の出来事ですから、あまり深く詮索すると死んだ母親に叱られそうなので止めます。でも馬や牛が生まれて間もなく立ち上がって歩く姿を見ると、人間は誕生からさらに1年間もしないと歩けないのですから、世話のやける動物と言わざるを得ません。

 時々自分の幼かった頃のことを思い出そうとするのですが、小学校以前のことは中々思い出せません。保育園も幼稚園もなかった田舎で育ち人の、移動もそんなに多くなかった戦後の、貧しい時代に育った私ですから、とりたてた思い出がないのかも知れませんが、小学校へ上がる頃の思い出は少しあるのです。私は知能の発達が遅れていたのか元々なかったのか分かりませんが、小学校へ上がるまでに10の数が数えれなかったようです。今時の子どもだと信じられないことで、今の時代に生まれてたら母親は私を教育相談にでも連れて行き、「はてどうしたものか」と行く末を嘆いたことでしょう。

 父は海岸から石を10個拾ってきて、毎晩夜なべ仕事の作業場に私を座らせ、石を数える練習をしました。数え間違えると竹の鯨物差しで手の甲をピシャリと叩くのです。出来ない私は涙を流していました。

 ひょっとしたら「私が私を意識した日」は小学校へ入る前の6歳頃の春だったのかも知れません。正確な記憶ではないのですが、これが私の「意識の誕生日」なのです。あんなに遅れていた算数能力も何とか人並みになり、今では計算も出来るのですから、私は大器晩成とまではいかなくても、小器晩成くらいとは言えるでしょう。でもそんな過去があっても社会に出るとそれなりに暮らしていけるのですから、石ころが数えられなかった意識の思い出は、むしろ人生の出発点として私の面白いエピソードになっています。

 「意識の誕生日」以来55年間、私の脳は覚えたり忘れたりを繰り返しながら、覚えなければならないことは覚え、忘れてもいいことは忘れて今日を迎えています。本当の誕生日から6歳引いた55歳が私の意識の誕生日ということになりますから、私はまだ55歳の若さなのです。

 この文章を書きながら私は若いことに気がつき、若いという自信を持とうと考えました。「失礼ですが若松さん、お歳は幾つですか」と尋ねられたら、「はい意識の年齢55歳です」と応えようと思っています。

 「歳なんぼいうと必ず褒め言葉7・8つ若く言われ喜ぶ」

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 「生まれた日私の父は戦争で留守してました何故に生まれた?」

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